ランは菌と共生して生きている菌根植物である。
この究極の進化の姿が腐生ランである。
他の植物が生息すれば、ほとんど必ず毎年新しい枯れ落ち葉、植物の死骸が発生する。
それには、セルロース、リグニンという高分子の糖が必ずある。
これがあるところには必ずこれをエサに生きる材木腐朽菌がいる。
材木腐朽菌がセルロース、リグニンを分解すれば、必ずランが食べられる糖が出る。
つまり、枯れ落ち葉さえあれば「喰うに困らない」。
典型的な親方日の丸の生き方である。
何も他の植物と競争して光を争っている必要などない。
暗黒の地中も住めば都である。
花を咲かせるときだけ地上で目立つようにすれば、虫は通ってくれる。
これで子種をゲット!
子孫は残せる!
ラン科植物の中には、葉を持たない・・・光合成しないで生きるラン・・・腐生ランがある。
この腐生ランこそランの進化の謎を解くカギになるランである。
しかし、このランに照準を当て、ここからランの全貌を俯瞰した研究はない。
なぜ、このラン達は葉を無くす方向の進化に進んだのか?
なぜ光合成しない植物に進化することが出来たのか?
こういうことは、本にも解説されたものがある。
しかし、そこから更に進んで、ラン菌の全貌を、用土開発まで進んだ研究は皆無である。
枯れ落ち葉の炭素循環という栽培まで進んだものは皆無である。
植物分類学上、ラン図鑑の解説では「栽培困難」の一行で終る。
ラン科植物の根源に関る最も大きな問題を内包しているのが腐生ランなのであるが・・・。
特に洋蘭界では、ほとんど腐生ランは見捨て、削除してきた。
それどころかラン科植物は「菌根植物」であるという根本まで削除してきた。
逆に、水ゴケを、バークを分解する材木腐朽菌は、用土を劣化させ、
根腐れになる悪玉菌として認識されてきた。
材木腐朽菌に分解されにくい材料を検索され使用されてきたのである。
ランに岩石系の用土が使用されるのは、このためである。
そこには、ランは菌根植物であるという概念が欠如している。
ランが他の植物と同じように独立自養植物として考えられている。
腐生ランが、なぜ水ゴケで、バークで作れないのか。
この問題の説明が付かないまま、この疑問は放置されつづけてきた。
ここに、ラン栽培の盲点がある。
SUGOI-neの栽培で、ようやく、ここにラン栽培の問題が隠されていたことが解かってきたのである。
キイポイントは枯れ落ち葉、植物の死骸である。
(腐生ランと呼ばれているが、厳密な意味では「腐生」ではない)
(腐葉土と枯れ落ち葉は違うからである)
植物の分類には
菌根植物
菌根植物でない。
こういう分類の仕方があるのであるが、この分類が削除されてきたのである。
世界のラン界に学者は非常に多く居られるのに・・・・
なぜか・・・ランが炭素循環のなかに生きる菌根植物という観点から研究した人は一人もいない。
ランの研究も近頃細分化し、特定の属の研究家になった。
ほとんど皆植物分類学者である。
どの本を見ても、自生地の土壌微生物に触れたものはない。
当然のことながらラン菌の発見はない。
プロトコームの発見はない。
発見しようとしないのである。
プロトコームでは分類のしようがない。
ほとんど生殖器の花での識別である。
そういう現状の中で、栽培できない腐生ランは、栽培書では削除された。
オニノヤガラがナラタケ菌を共生菌にする。
そういう研究が散発的に発表されることがあるが・・・・・。
ラン栽培も近頃細分化されている。
ランの中で最も多様に進化したのはCymbidiumである。
だから宇井清太はCymbidiumを追いつづけてきた。
Cymbidiumには腐生ランの「マヤラン」が一種ある。
マヤラン Cym macrrhizon L indl 1833
パキスタン、北インド、タイから日本
枯れ落ち葉の炭素循環の養分のみで生きる。
Cymbidiumには地生ラン、着生ラン、腐生ランが存在するということである。
SUGOI-neの開発。
ラン菌の発見。
そして、このラン菌による炭素循環ラン栽培法を構築するとき、
Cymbidiumに腐生ランがあったことが鍵になった。
宇井清太が若し、Cymbidiumでなかったら・・・出来なかったことである。
ランの属は多々ある。
しかし、一属に地生ラン、着生ラン、腐生ランを内包するのはCymbidium属のみだからである。
カトレアには腐生ランはない。
デンドロにはない。
パフィオにもない。
オンシにもない。
・・・・・・
・・・・・・
・・・・。
そういうことで、他のラン栽培、ラン研究家は腐生ランなど眼中にない。
自生地で採取するとき、枯れ落ち葉の中から株を掘るのに・・・・・
植えるときは枯れ落ち葉など考えもしないことになる。
腐生ランが削除されているからである。
腐生ラン。
この葉を自ら捨てたランが、他の葉を持つランと全然異なる進化をしたのだろうか。
こういう疑問も出てくる。
腐生ランと他の葉のあるランとの共通点をみれば、全く同じ進化である。
種子の形態、機能も同じである。
発芽後、プロトコームを同じように形成する。
つまり、全てのランは、葉のあるランも・・・必ずプロトコームというステージを経て生長するということである。
エネルギーを保存している胚乳を持たないランは、このプロトコーム時代に、
ラン菌によって行われている枯れ落ち葉の炭素循環の糖を、胚乳に代わるエネルギー源として、
貯蓄しながら、自らも大きく肥大生長しなければ生きることが出来ないということである。
腐生ランもプロトコームも暗黒の世界で生きられるのは、
ラン菌が勝ち組みになっているエリアでは、枯れ落ち葉、植物死骸が分解されて出来た糖などの養分があるからである。
ランの無菌播種培養で、暗黒培養が行われる場合があるが、それでもランは発芽するのは、
培地に「糖」を添加しているからである。
ナドソン博士は、巧妙に自生地の炭素循環の糖を、培養基に砂糖を潜ませることで、
フラスコ内をランの自生地に再生したのである。
驚くべき発想が100年前に行っていたのである。
この培養理論は、非常に科学的であるが、原理は自然の法則を再現しているので理論に破綻がない。
だから、100年後の今日も廃ることなく世界中で行われているのである。
着生ランも空気中で発芽などしていないのである。
地生ラン。
着生ラン。
こういう分類をしてきたから・・・・おかしな栽培行われて来た。
ラン菌、枯れ落ち葉、炭素循環という自生地の条件からみれば、全てのランは同じだということである。
つまり、このことは、全てのランのDNAに、腐生ランと同じDNAが宿るということである。
炭素循環の多少の違いに過ぎない。
生長繁殖するに充分な炭素循環養分がない場所に自生しなければならない葉のあるランは、
他の植物に倣って葉で光合成しなければならない。
なぜなら、葉があればその分多くの養分を葉が消費するからである。
葉はエネルギーを作る器官であるが、同時に呼吸作用などで、エネルギーを消費する器官でもあるからである。
葉を持ち身体を大きくすれば、それを維持するだけでも大きなエネルギーを消費する。
つまり固定経費が多く必要なのである。
エネルギー獲得の二股路線である。エネルギーの安全保障のためである。
腐生ランは・・・他の植物と競争してでも光を得て生きたい・・・という向上心?を捨てて、
身分相応に生きる道を選んだのかも知れない。
葉を持たなければ、最少のエネルギーでいきつづけることが出来る。
枯れ落ち葉由来の僅かな糖をエネルギーに生き続けるのである。
この生き方では、絶対の森の主役、支配者にはなれないが・・・・・
他の植物の死骸があれば、それでいき続ける事は可能と判断したのかも知れない。
ここまで書けば、葉のあるランとて、葉のみの光合成のエネルギーでは不足する場合もことが理解出来よう。
水ゴケ、バーク、軽石には枯れ落ち葉が削除されている。
ラン菌が生きていない。
だから鉢には自生地のような炭素循環はない。
エネルギー不足は肥料を与えても解決しない。
このことが、株分けしたときに激しく起こる!
なけなしの貯蔵エネルギーで・・・傷口を癒し、新しい根を伸ばさなければならない。
水ゴケに養分はない。
更に・・・・乾燥させる!
これでは衰弱するのが当たり前である。
この場面で、用土にプロトコームが生きられ、生育できる炭素循環の養分があれば・・・・
ランは衰弱することなく生きられる。
ラン菌が生きている用土。
枯れ落ち葉の炭素循環がある用土。
これがあれば、ランの衰弱、生育不良、絶種、根腐れ・・・は無くなる。
これが、SUGOI-ne開発の用土である。
窒素は生育を促進させるが・・・生きるためのエネルギーではない。
ランが生きるためのエネルギー源は糖である。
だから植物は光合成して糖作りに全力を傾ける。
水ゴケの花とSUGOI-neの花に、雲泥の違いがあるのは、この糖の差である。
花は集大成である。
生殖器に充分なエネルギーがあれば・・・燃えるような情熱を秘めて咲き誇ることになる。
これが自然の法則である。
腐生ラン
ラン図鑑でどういうランがあるか調べてください。
オニノヤガラ、ツチアケビ・・・・その他にも多くのランがある。
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蘭界から見捨て、削除された腐生ラン